抑うつの段階

抑うつの段階

グリーフワークの3つ目のプロセスです。
絶望感、無関心、空虚感、引きこもり

激しい感情を持ちならが、それを外に出せなかった人や、一旦感情的になった人でも、突然、強い抑うつ状態になることがあります。
希死念慮が本格的に出てくるのも、この頃です。
自分のことや周りのこと、そして日本に起こっていること、何にも興味が持てなくなってしまいます。
何をしても、意味がないと感じてしまうこともあります。
笑ったり泣いたりという、感情の表現が難しくなることもあります。

私の抑うつの段階

私は、怒りの段階と抑うつの段階とが、平行して長引いたように思います。
今、自分は「立ち直りの段階」に来ていると自覚していますが、抑うつの段階は、今も終わったとは言えません。
このように、プロセスが同時に起こったり、起こらなかったり、順番が違ったりするということも納得できます。

妹が亡くなって1年半後に、私は体調を大幅に崩し、小さながんにかかりました。
初期で発見でき、幸いすぐに治癒しましたが、ちょうど義弟と大喧嘩をした時期とも重なっていて、「ストレスとがん発症とは関係あるのでは?」と思いました。

そして、がん治療を終えてから半年後には、とうとう、うつ病で通院を始めることになりました。

仕事をしている時だけ、気持ちが楽でした。
何も考えずに済んだからです。
帰宅すると、毎晩深酒をしていました。
自分の感情を麻痺させてしまいたかったのです。
そして、飲酒で軽く記憶が飛ぶことがあり、早く死期を迎えたいと思っていた私は、死へのショートカットのようなつもりで、少しでも記憶をなくして、早く死を迎えるような気持ちになりたいと思っていました。
妹も飲酒に問題があったため、妹の影を追っての行動、という意味もあったと思います。

まったくテレビを見なくなりました。
特に、妹が好きだった番組を見たくないと思いました。
そのわりに、妹が好きだった音楽をひたすら聴き、好きだった本をひたすら読みました。
ここにも、妹が何を思ってこの曲を聴いたか、この本を読んだかという、探求があったように思います。
妹が好きだった本を読んでいると、まるでアンダーラインがひいてあるように、妹が、どの文章に惹かれたのかがわかりました。

「妹が帰ってきた時に、私がどこにいるかわからないと困るから」と思って、引っ越したり髪を切ったりという変化は一切拒みました。
同じ家で、同じ髪型で、妹が私のところへ帰ってくるのを待っていました。
半ば本気でした。
遺体と対面しなかったことと関係するかと思いますが、「妹はどこかへ失踪しているだけなんだ」と思い込もうとしていました。

土日は家にこもりきりとなりました。
会社の飲み会や、友人での集まりなど、すべて断っていました。
「妹があの世で、もしかして苦しんでいるかもしれないのに、私だけ華やかな席にいては申し訳ない」と、「行ってはいけない」気持ちが強かったと思います。

ですが、こんな怒りや抑うつを抱えていても、人前に出るといつも笑っていました。
元気な風を装っていました。

両親の体調が心配で、毎週帰省していましたが、泣いている母を慰め、「あれは病死だから」と説得して、笑っていました。

だから余計に、周りの人から、私がかたくなに飲み会への参加を拒むのが、理解できなかったのかもしれません。
もう立ち直ったように元気に笑っているのに、飲み会にだけ出ないというのは、やはり理解しにくいですよね。
さらに私は、妹が自死だったことは誰にも言わず、「病気を長く患っていました」と嘘をついていたのですから。

精神科へ行ったきっかけは、電車の中で、突然震えが止まらなくなったことですが、その前から、仕事を休むことが多くなっていました。
いつも神経質でイライラしていて、仕事の完成度にこだわって、それでいながら、会社に行く気になれない日がたびたびありました。
ですから友人に、「こんなに休んでばかりいて、それでは自分の評価が下がるだけだよ。今まで一生懸命築いてきたものを、自分で壊してしまうの?」と忠告を受けました。
それでも、会社には行けませんでした。
そして「私の気持ちなんて、友人にはわからない。だって、友人には本当のことを話していないから。私が話さないと決めたんだから、キツイことを言われても、それは仕方のないこと」と、自分をいじめるようなこともしていました。

自死のことがニュースになると、会社で話題になることもありました。
自死については、まだ誤解が多く、「情けない」「逃げただけだ」と、いろいろな声が出る中で、ただ笑っているしか、できませんでした。

妹を思い出す時以外に、まったく泣けなくなりました。
会社で嫌なことがあっても「もっと辛い、人生でいちばん辛いことを私は知っている。こんなもの、何てことない」と、逆に笑っていたのです。
友人に、「感動して泣ける映画を教えて」と頼み、たくさんの映画を教えてもらいました。
片っ端からレンタルしてきて、見ました。
どれ1つとして、泣けるものはありませんでした。
泣けない自分は異常ではないかと、何となく思っていました。

妹の亡くなった場所へ、2年間、毎月の月命日に花を供えに行きました。
そこへ行けば妹に会えるのではないかと思いました。

電車に乗ったり、スーパーに入ったりすると、すぐにひどい腹痛を起こしていました。
胃腸の調子を、ずっと崩していました。
男性の方には想像しにくいかもしれませんが、よく、CMで「多い日の夜用」と言われているような生理用品を使わなければいけないほどの多量の不正出血が、1ヶ月続きました。
頭痛や腰痛など、いろいろな、それほど大きくない体調面の問題は、毎日ありました。

今、月命日は、それほど意識しなくなりましたが、「記念日反応」という、命日が近づいてくると気持ちが不安定になることは、ずっと続いています。
命日どころか、私は妹が自殺未遂をした日や、妹が最期に病院へ行った日、妹の家に泊まった日など、いろいろな日を覚えているので、年中気持ちが不安定になる可能性があるような状態です。

私は夏が大好きでしたが、妹が夏に亡くなったので、大嫌いになりました。
私の誕生日と妹の命日が同じ月。
そして、何ということか、私の子供2人も、同じ月。
年に1回、嬉しいのか悲しいのかわからない、今でも気が狂いそうになる月が来ます。