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自殺とは?

自殺について、自殺とは? 自殺とは何か、一度、じっくり考えてみましょう。
あくまでも私の考えです。
どうか目安程度にご覧下さい。

厳密に自殺自殺でないかを区別するのは、とても難しいことです。
けれど、「これは自殺ではないから」と、「仕方ない」で済ませてしまうほどには、この問題は小さくありません。
どんなサインも真剣に受け止めてほしい。
自殺か、自殺でないかを判別すること」ではなく、「何かできることはないか」を目的として、考えてゆきます。

さて、「自殺とは何か?」ですが、社会学者のエミール・デュルケムという人は、このように定義しています。
自殺論」(1897年)という本を書いた人です。
「当の受難者自身によってなされた積極的・消極的行為から直接・間接に生じる一切の死を自殺と名づける」
(併せて未必の故意の項もご参照下さい)

噛み砕いてみると、こんな意味だろうと思います。
「自分の意志によって至った死を指して言う」
これによると、交通事故や、拒食症による死も、自殺に含まれる可能性を持ってきます。
具体例を、いくつか挙げてみましょう。

よく言われるのは、「躁病にかかった人が、自分は空を飛べると信じてビルの屋上から飛び降りた。
これを自殺とするか」です。
これは「否」となるでしょう。
ご本人に、その意志がなかっただろうと考えられるからです。
あくまで空を飛ぼうとしたのであって、飛び降りようとしたのではないと推測できますね。

では逆に、「小さな子供が階段の踊り場から飛び降りてケガをした。これはどうか」ということを見てみます。
この時、そのお子さんが「こうすれば死ねるんだ」と思って行動を起こしたとするならば、これは自殺未遂にあたります。
通常であれば決して死ぬことはないであろう、この行動も、自殺未遂と捉えることができます。

では同じケースでも、子供が「僕が死んで皆が謝ったら、許してあげるんだ」と思っていたとします。
この場合、子供は、死んでもまた生き返れると誤解していることになります。
こうした場合には、死の認識が未成熟であるため、自殺とは判断できません。

上述のように、基本的には、ご本人の意志が、最も重要になると考えられています。
では、ご本人の意志は、どのように第三者から定めることができるでしょうか。

私の妹の例を挙げると、生前言っていた、こんな言葉があります。
「死にたいという衝動が来たら、私の意志じゃ止められないからね。次にそれが来たら、自分がどうなるか自信がないよ」
ここに、「死への衝動」と「生きたい妹の意志」の2つの力(方向性?)を見ることができます。

また、病院の診察の際、「私だって本当は死にたくなんてないんです」と号泣したことがあります。
「死への衝動」と、「生きたい妹の意志」が闘っていることがわかります。

妹の死は、警察により「自殺」と判断されました。
けれど、この発言を見る限り、「本当に自殺だろうか?」という疑問が出てくるのです。

拒食症で亡くなった方が仮にいるとして、その方は、口に出しては「食欲がないだけだよ」と言っていたとします。
けれど、その心の奥底に、もしかして「私なんてどうなってもいいんだ」という気持ちが潜んでいたとしたら、また、このまま食べないでいたら死ぬだろうなとわかっていたとしたら、どうでしょう。
さらに、その気持ちに、自分自身でも気づいていなかったとしたら?

こんな統計もあります。
時々、「交通事故によく遭う人」という話を聞くことがありませんか?
交通事故に遭いやすい人は、潜在的に、希死念慮を持っていると言います。
つまり、心のどこかで、「私なんて、いつ死んでもいいや」と思っているのです。
すると、危険察知能力が鈍ってきて、このような「体質」となって表れてくるのです。
ご自分が意識してそう思っているとしても、無意識に思っているとしても、このように表れるといいます。

本当は治療を受けなければいけない体なのに、病院へ行きたがらない、わざと治療をさぼる、などの行為も、これと同様と考えられています。

もっともっと突っ込んだ話になってくると、例えば、タバコや深酒がやめられない人は?
病気治療の食事制限が苦痛で、つい決まりを破ってしまう人は?

見回してみると、どこにでも転がっている出来事ではないでしょうか。

このように、「自殺」とは、厳密に定義しようとすればするほど、曖昧さを増してきて、結論を出しにくくなるものだと感じています。

その結果として、私は「妹は自殺したんじゃない」と考えることにしました。
うつ病の症状による病死であると捉えています。

では、ここで敢えて「自殺」という言葉を多用しているのはなぜか。
それは、この文章で触れている、自殺企図のある人の気持ちと、それを止めるための方法が、「自殺か否か」の枠を越えて役立つ可能性を持っていると思ったからです。

それを踏まえて「自殺」を定義しなおすならば、「亡くなる瞬間まで、一度も『死にたい』と思わなかったであろうと思われる人の死は、自殺ではない」ということになるでしょうか。

いくら妹を病死と思っているからといって、「病死を止める方法」としたのでは、誤解を招く可能性が大きくなってしまいます。
そう考えて、「自殺」という言葉を使用することにしました。
私の実際の見解と、使っている言葉との間に開きがあるのは、こうした理由からです。